導入園
日本において、「見守る保育」を導入している園は500園以上を数えます。
ここでは、その総本山ともいえる藤森平司先生在籍の新宿せいが子ども園を始め、いくつかの導入園をご紹介いたします。
新宿せいが子ども園
園名 | 新宿せいが子ども園 |
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開所年 | 2007年4月 |
住所 | 〒161-0033 東京都新宿区下落合2-10-20 |
園児定員 | 177名(0歳児21名、1歳児30名、2歳児30名、3歳児32名、4歳児32名、5歳児32名) |
見守る保育の特徴 | 3つの発達段階 0〜1歳クラス この発達の段階では、十分に行き届いた養護環境が重要な意味をもち、くつろいだ雰囲気のなかで自発性の基礎を培うような保育に重点を置きます。(発達の状態に応じて、1歳児クラスと1歳児クラスが連動した保育集団を作ります) 2歳クラス この発達の段階では、自我の芽生えに伴う自己活動を十分に保障する環境の構成が大切になります。このため2歳児クラスは、独立した部屋になっています。 3歳〜5歳クラス この発達の段階では、自発的な自己活動と友だちとの関わりが著しく発達します。そのため、子ども相互の関係づくり、とくに社会性をともなう集団活動の意義が大きくなります。個人の特性も差異が大きくなるため、一人ひとりの発達課題をはじめ、興味・関心(情意面)、習熟度(認知面や技能表現面)などに応じた「選択の機会」を多く用意しています。 生活のリズムを大切に 生活の主要な3要素といえる「遊び「食事」「お昼寝」の遊食寝が、どのクラスも独立したスペースで行われます。これによって、一人ひとりの生活リズムを保障し、安心感や満足感、達成感をともなった自発的な活動を促すことができるようになります。また、いずれの場合も、家庭的な親しみとくつろぎの場となるようにしています。 異年齢集団での体験 年齢別のクラスを基盤にしながらも、0~1歳クラスと3~5歳クラスは異年齢の中で、一人ひとりの発達課題があった体験ができるようにしています。また年長児は週1回ほど2歳児以下のクラスで過ごすお手伝い保育を行います。 自発的な遊びと主体的な活動 主に遊びにおいて、子どもが自発的で意欲的な活動ができるように、一人ひとりの発達課題に対応したゾーンを用意し、興味や関心等によって選択できます。 自然環境や総合絵本の活用 近くにある自然保全型公園など、自然と接する機会を多く設け、それらへの関心を高めるようにしていきます。また絵本や紙芝居などのほか、総合絵本を積極的に利用し、社会的事象への関心を広げていきます。 食を通じた保育 食事は、基本的な習慣を身につけ必要な栄養やエネルギーを満たす養護としての役割にとどまりません。授乳、離乳食、昼食、間食、水分補給は、豊かな食文化や知恵の伝承でもあります。 また子どもクッキングなど「食をつくる活動」を通じて、社会事象への関心を広げるきっかけとしています。そのための環境として、子ども用キッチンルームを用意し、できるだけ食材の産地を子どもたちに伝えるなど、子どもたちたちが必要な食文化の体験ができるようにします。 子どもにとっての食事は、心身の発育だけではなく、情緒面の発達にも影響を与えます。乳幼児期は、日々の活動も活発で、大人に比べて体の割には多くの栄養を必要とします。 また最近は、一人で食べることを好む「孤食」や「個食」の傾向が強まっているといわれています。そのため、子ども園では、「食」を保育の一環としてとらえ、栄養のバランスを図るだけではなく、将来にわたって豊かな食生活・食文化を作り出していけるような基礎を培えるような工夫をしています。 ※平成14年度に、東京都から栄養改善都知事賞を受賞しました。 卒園後の「育ち」でも連携 小学校や中学校の「保育体験」の受け入れをはじめ、学校の教育活動と連携した活動を重視しています。地域や家庭の養育機能の変化をもっとも敏感にキャッチする児童福祉施設として、小中学校への育ちの支援を行いたいからです。 地域に開かれた子ども園に 子どもは家庭や子ども園だけで育つものではなく、地域の方々にも見守られながら育ちます。保育ボランティアの方が子ども援助したり、保育ボランティアの方を育てるための養成講座も開いています。 |
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児玉保育園
園名 | 児玉保育園 |
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開所年 | 1957年7月 |
住所 | 〒367-0212 埼玉県本庄市児玉町児玉2448-1 |
園児定員 | 170名 |
見守る保育開始日 | 1972年 |
見守る保育を導入した経緯 | 1972年からの保育園運営では、時代のニーズに即し規模の拡大を行ってきました。しかしながら保育内容に於いては、経験から生まれた保育形態に留まり、いつの間にか時代の子ども達の姿を捉えず、指導する保育のみが定着していました。見守る保育では常に子ども達の成長の姿から保育を進めます。時代のニーズに即しながら、いつの時代でも変えてはいけないのは「子ども中心」な保育だと考えています。 |
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いるまこども園
園名 | いるまこども園 |
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開所年 | 1958年4月 |
住所 | 350-1315 埼玉県狭山市北入曽根1294-1 |
園児定員 | 96名(0歳12名、1歳児12名、2歳児15名、3歳児17名、4歳児17名、5歳児17名) |
見守る保育開始日 | 2004年 |
見守る保育を導入した経緯(いただいた資料をそのまま掲載させていただいております) |
法人の概要社会福祉法人いるま保育会は、埼玉県狭山市北入曽に所在します。昭和33年4月に端を発し、昭和46年5月1日、社会福祉法人いるま保育会が認可され、いるま保育園が誕生しました。小学校を見据えて、生年月日でクラス運営をしておりましたが、子どもたちの社会性の発達に課題を感じ、平成18年より保育方法を生年月日別一斉保育から異年齢の関わりを大切にする「見守る保育・藤森メソッド」に大きく舵を切りました。一人ひとりの子どもたちは生き生きと活動し、その保育方針・方法を携えて、新宿区の認可保育所事業者公募に申し込み、平成25年に「新宿いるま保育園:現、しんじゅくいるまこども園」(定員、1号6名、2号3号137名、病児病後児保育4名)が開園しました。
素人の私が私が法人の理事長に就任いたしましたのは、平成14年1月のことでした。異業種からの就任であり、保育に関しては全くの素人です。当時、私の妻が園長をやっておりましたので、私は年数回の理事会を開催し、議案に対して理事会の承認を得るものでした。立場上、保育園の行事には参加させていただき、ごあいさつをいたします。運動会では、年中・年長がお遊戯や組体操を行っていたのですが、平成15年の運動会で、一人の女の子が組体操の最中に、なんとその場で寝てしまったのです。本番真っただ中で、担任保育士は慌てふためき、何とかその子に最後までやらせようと頑張るのですが、どうしてもうまくいきません。結局、抱っこされて途中退場になりました。私はその時に、どのような対応をとることが良かったのか、結論を見出すことができませんでした。それは、本来の行事の目的が私の中に明確になっていなかったからです。一糸乱れぬマスゲームを保護者に見せることが目的だとするならば、なんとしても最後までやらせたでしょう。しかし、そもそも保育園の運動会でどうして組体操を行わなければならないのか、運動会の目的をもとにその種目から考えなければならないことだったのです。このような経験を重ねることで、保育に対する興味が徐々に深まっていきました。
このままでは駄目だけど、どうしてよいのか分からない(見守る保育との出会い!)平成16年から、少しずつ保育園に入るようになり、すると数々の子どもたちの姿に頭を悩ませる先生方に直面しました。・片づけをしない・遊びのルールを守れない・注意されても直す(考える)ことができない(保育士の言うことを理解できない?)・楽しい遊びをみつけられない(遊びこめず、ふらふらしている)・生活と生活の移動時にトラブルが多い(行動の見通しが立たない)・その場の状況把握ができない(午睡時に騒ぎ、眠い子のご迷惑になる)・怖い保育士の言うことはきくけど、優しい保育士の言うことは無視する幼児クラスの子どもたちの姿です。必然的に、保育士の声は大きく、怖くなっていきます。しかし、何をやっても功を奏しません。子どもたちは先生にやらされていて、自分で考え自分から行動していないことに薄々感じ始めたそのときに、主任保育士がある研修会で一人の先生の講演を聴き、感銘を受け戻ってきました。その後、園長と主任で、保育環境研究所ギビングツリーの保育環境セミナーに参加し、保育改革が始まりました。平成16年のことです。理事長の私は、二人のあまりの豹変ぶりに戸惑い、「変な宗教指導者につかまっていなければよいのだが」と心配しながら、最後まで抵抗していました。しかし、私が直接その先生の講演を聴いていないにもかかわらず、抵抗するのはおかしな話です。園長の強い勧めで平成17年7月にその先生(藤森平司先生)が主催する保育環境セミナーに参加しました。目から鱗が落ちるとはこのことで、一筋の光が見えてきたのです。「進むべき方向はこれしかない」と園長、主任そして理事長の考えが一致しました。その後は急速に保育方法の見直しが行われ、園舎の壁を取り払い、子ども自ら主体的に遊ぶことができるように、遊びのゾーンを設置し、食事、午睡のエリアを独立させました。
様々な発見と感動幼児クラスに焦点をあてて進めてはみるものの、十分な感触を得られません。その中で一つの大きな発見は、幼児の課題は乳児保育に起因することでした。おむつを時間で一斉に取り換え、給食になったら一斉に子どもを保育士が椅子に座らせて食べさせ、おもちゃの取り合いになったら、ひっかきや噛みつきを必要以上に意識して保育士が先回りして解決していたのです。この「やってあげる乳児保育」に大きな問題があったことに気づきはじめたのです。今でこそ、明らかになってきましたが、Emotional Control(感情のコントロール)即ち、自分の感情を認識し、自制や他者を共感的に理解する脳の感受性は、概ね3歳までにピークを迎えてしまうというのです1)。だからこそ、この乳児期にお友だちと楽しく遊び、また一方でおもちゃの取り合いで悔しい思いをする経験が、とても大切なものになります。これは、発達の近い多くのお友だちがいなければ、経験し得ないものです。大人主導の保育では、せっかくのこの経験を保育士が摘んでいたのかもしれません。そのような反省から現在は、おむつがぬれることを通して赤ちゃんが自から快不快を感じ、お給食の時間になったら自らハイハイでランチルームに移動できるように配慮し、おもちゃの取り合いになっても、保育士はじっと待つことで、子ども同士の関わりを見守るようになりました。このような関わりを十分に経験することこそ、次の幼児クラス(3,4,5歳児)に向けてとても大切なものだったのです。
生年月日でクラスを分ける?また、日本は生年月日でクラスや学年を分け、保育や授業が行われます。私も生年月日で子どもたちの活動を分けることに、何一つ疑問を持ちませんでした。しかし、今まで通りに生年月日で子どもの活動を決めていくと、先生主導の保育になりがちで、結果的に子どもたちの主体性がないがしろにされてしまいます。生年月日によるクラス分けは、明治時代の富国強兵が叫ばれて始まりました。一般庶民が戦争に参加するようになったのです。江戸時代は、武士という戦う集団によって行われていたのですが、明治時代に入り、国民全体が戦争に駆り出されるように変わったのです。そして、身体を鍛える体育や運動会のような軍事教練的な行事が教育に組み込まれ、兵力を強くするために最も効果的な教育方法として生年月日による学年が生まれ、個人の到達度や個人の特性を無視した一斉授業が行われたのです2)。運動会で行っていた組体操も、この軍事教練的な種目であったのかもしれません。今、我が国の教育が目指すところは、民主的で平和な国家を築くための人格形成です。誰もが我が子をより強い兵隊にさせようとは思っていません。そう考えたとき、生年月日別一斉保育、一斉授業が、最良の方法なのか疑問になります。とはいうものの、平成17年度までは、私どももこのような一斉保育を行なっておりました。しかし、子どもたちの姿から、いかにこの保育方法が不適応であったかを知らされたのです。
「見守る保育:藤森メソッド」に出会って子ども達の人間性は、生年月日で発達していくのではありません。生年月日で発達するのはせいぜい身長と体重くらいでしょう。子どもたちを発達させるのは、その子の置かれた環境に他ならないことを子どもたちは教えてくれました。現在、0,1歳児クラスの赤ちゃんは一緒に活動を行ない、2歳児クラスは幼児クラスに向けて、3,4,5歳児クラスは異年齢で発達別に活動を行っています。ハイハイの赤ちゃんが自分の意志でランチルームにお食事に行くと少し上のお姉さんがエプロンをつけてくれます。またトラブルが起こると、年長のお友だちが年下の二人をニコニコ机(ピーステーブルとも呼ばれ、トラブルが起こったらそこに座って話し合う場所)に連れていき、仲裁をしてくれます。このような子ども同士の関わりこそ、人間を人間足らしめる能力に他なりません。私たち人類(ホモサピエンス)は他の動物にくらべ、協力し合い、助け合うことで、この地球上に繁栄をもたらしました。そのような遺伝子をもって生まれる赤ちゃんにとって、他者を理解する能力を引き出す営みこそ、子どもたちが社会で活躍するために、とても大切な経験であると実感しています。 「三つ子の魂百まで」と申しますが、その子にとってそのような大切な時期を過ごす保育園だからこそ、質の高い「物的環境」「空間的環境」「人的環境」を模索し続けなければなりません。人類の子育ては、両親だけでなく、親族だけでなく、血縁関係を越えた人々がコミュニティーの中で子育てに参画するようになっています。20万年という長い期間、人類の子どもたちはコミュニティーの中で育ってきたのです。子育て環境が大きく変わった現代において、いるまこども園がその環境の一つとなり、子どもたちが社会で活躍し社会に貢献できる大人になるための根幹を育むことができるように、これからも関わっていきたいと思っています。 それが私たちの幸せであると、心から思えるようになりました。 それも「見守る保育・藤森メソッド」との出会いのお陰です。子どもたちの成長・発達が第一優先です。しかし、その前に理事長・園長の成長・発達を促してくれたのが「見守る保育・藤森メソッド」でした。この出合いに、感謝しております。
引用文献1) 2016年1月7日 社会保障審議会児童部会保育専門委員会(第2回)配布資料より 2) 藤森平司、0,1,2歳の保育、世界文化社(2012) |
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城山幼稚園
園名 | 幼保連携型認定子ども園 城山幼稚園 |
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開所年 | 1982年4月 |
住所 | 860-0067 熊本県熊本市西区城山大塘1-21-1 |
園児定員 | 180名(0歳12名、1歳児14名、2歳児14名、3歳児46名、4歳児47名、5歳児47名) |
見守る保育開始日 | 2005年 |
見守る保育を導入した経緯 | 法人の概要「マーチングを成功させるための運動会」、「華やかで見ている側が感動する発表会」を目標に保育をしていたが、子ども達の姿に違和感を覚え、何かが違うとモヤモヤしていたところ、藤森先生の講演を聞き、動画のなかで主体的に行動する子どもの姿を見て目を疑った。その後、実際にせいがの森保育園で過ごす子ども達の姿を見ることで本来の保育の必要性を感じ、保育を見直すキッカケとなった。その後、2005年から見守る保育を導入し、保育の見直しを開始した。 |
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