MIMAMORU-見守る保育とは
「見守る」というのは、よく耳にし、よく使われる普通の言葉です。
「やってあげる」の対極にあるこの言葉を、保育の現場で使うようになったのは、それまでの、母親というモデルに近づこうとしていた乳児保育、あるいは子どもに何かを教えようとする認知を優先する保育から、子どもが自ら発達していくための環境をつくる保育へと転換していく必要があると感じたからです。
赤ちゃんは、はう経験なしでいきなり歩くことはできません。
もしも、はうことのできる十分な環境がないために、はう時期が短く早く立ち上がったり、歩いたりしたときには、その後の発達に問題が生じてしまうかもしれないことは、今では広く知られています。
それは、赤ちゃんがそれぞれの発達過程において、その後の成長に意味のあることを習得しているからです。そして、習得するためには、ある一定の時間が必要なのです。
したがって、保育者がしなければならないのは、子どもが早く立てるように手を貸したり、後ろから支えたりすることではなく、はいはいをしなければならない時期に、十分にはいはいができるような環境をつくってあげることなのです。それが現在をよりよく生きる、ということにつながります。
はいはいからつかまり立ちへ、つかまり立ちからひとり立ちへ、そして伝い歩きへとつながっていく発達過程は、自然な発達の経過です。その発達を保障するためには、それができる空間を用意しなければなりません。加えて、それぞれの発達過程における「心情」が満たされるためには、子ども自身に「意欲」かなければなりません。
はっていって、「何かを取りたい、触りたい、抱っこされたい」などの気持ちがあれば、そこに向かって赤ちゃんははいはいをします。意欲があってこそ、はうという「態度」が生まれるのです。その流れが、保育所保育指針でいわれる「心情」「意欲」「態度」です。
保育所は広い場所さえ用意すればいいのではなく、赤ちゃんがはいはいしたくなるような環境を用意しなければならないのです。そして、その環境は、その子が今できることより、少しだけ背伸びの必要なものであることが大切です。
例えば物を取りたいと思うときには、その子が到達できる地点より少し先に欲しい物を置いておくとか、保育者に抱かれたいと思えば、少し離れたところで抱くために待っているようにするのです。その子の発達をよく見て、その子の発達の少し先に課題を置くために、発達過程を理解することが保育者の専門性のひとつです。
また、保育者自身も子どもにとって環境ののひとつとしての役割を担っています。子どもが大人とのかかわりを求める何らかのサインを出したときには、必ず気づいてこたえなければなりません。そのために保育者は子どもに密着するのではなく、かといってただ「見ている」だけでなく、ひとりひとりの子どもの発達過程をしっかりと「見て」、しっかりと「守る」、そして発達に応じた適切な「援助をする」。
それが、MIMAMORU-見守る保育 なのです。